質問!あなたが『SINGING, DREAMING, NOW!』を任されたらどんなことを語りますか?
記事タイトルを見た瞬間「こいつ担当曲どころか作品まで間違えてんのか?」と思った皆様、おはようございます。大丈夫です、さすがに間違えないですよ。
この度、わらみんさん(@WaraminLiver123)主催の虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会完結編第1章公開前カウントダウン企画「#これが私のトキメキ」にお誘いいただき、ブログリレーに参加させていただくことになりました。当記事はそちらのリレー用のものではないです。
自分の担当楽曲は記事タイトルからは察せないと思いますが『SINGING, DREAMING, NOW!』です。気づいたら3本目に突入していました。
こちらも2本目同様、リレー企画用に投稿した記事とは別の個人として投稿したものになります。
リレー企画用の記事はそれ単体で完結する話にしていますが、こちらの記事はリレー企画用の記事と2本目の記事を読まれている前提の話になるため、まだ読まれてない方はそちらから先にお願いします。
リレー用↓
2本目↓
リレー企画に向けてこの曲について色々と考えているうちに、蓮ノ空に登場するとある楽曲とこの曲って結構似ているところがあるのでは?と感じ、その似ている点に注目することでより『SINGING, DREAMING, NOW!』という曲について掘り下げられそうだと考え、それについて書かせていただくことにしました。
そして、その楽曲というのは記事タイトルからもお察しの通り『Link to the FUTURE』です。
もちろん、普通だったら似ている点があったとしても虹ヶ咲と蓮ノ空じゃ作品が違うんだからその話を繋げても意味は無いんじゃないかと思われるかもしれません。ですがこの2曲は「作詞が畑亜貴さん」という点も共通してるんですよね。作詞者が同じであれば、その根底にあるワードセンスや考え方などは同じのはず……ということで、意味を見出すに足るだろうと判断しました。
こじつけ感もあるかもしれないけど、そこも含めて楽しもうという点では2本目の記事と同じなのですが、ではなぜ3本目として更に話題を分けて書いたかというと、人によっては虹ヶ咲の話をしている時に蓮ノ空などの他作品の話をされるのは好きじゃない、あるいは作品を知らないから理解できない、という人もいるだろうなと思ったからです。(もちろんその気持ちは否定しません)
まぁ実際、ここまでのリレーブログを読んでも他作品の話はほとんど出ず、出るとしてもほんの少し程度の塩梅だったので、この判断は正解だったと思います。
というわけでここから先は、「虹ヶ咲と蓮ノ空を絡めた話をしてもOK」という方にお付き合いいただければと思います。
- 質問!あなたが『SINGING, DREAMING, NOW!』を任されたらどんなことを語りますか?
- 扉はいつでも開いてるから
- 一緒に居よう、って
- 君の世界へ連れてって
- Link!Like!
- 努力・未来・イマ
- 届け私の歌
- いずれ観る三作目の映画
- またやりたいです、おしまい
扉はいつでも開いてるから
まず『SINGING, DREAMING, NOW!』の冒頭の歌詞。
どこまでも手を伸ばそう
あの日決めたから
無理かなって願いだって
追いかけてみた
だから繋がったよ 広がったよ
『SINGING, DREAMING, NOW!』より
OVAで描かれた通り、スクールアイドルの申請が却下されるという壁に当たりつつも、諦めずに一歩を踏み出したアイラの姿と連動しつつ、無理そうなことにでも踏み出すことの大事さを描いた歌詞だと思いますが、この歌詞における「繋がった」「広がった」とはどういう意味なのでしょうかね。
何が繋がったのか?何が広がったのか?これだけだと少し意味がぼんやりしているような気がします。
一方、『Link to the FUTURE』では同じく冒頭にこのような歌詞があります。
どこかにあるとわかっていたんだ
あきらめない限り ミライへの扉 絶対あるよ
かんたんに探せないけど つらくっても
先へと手をのばさなきゃ 出会えないよ Let's go!!
『Link to the FUTURE』より
こちらの歌詞も、困難な状況でも行動をすることの大事さを歌っていますね。「手を伸ばす(のばす)」という言葉が共通してるだけに凄く似ている歌詞だなと思いました。
違いとしてあるのは、手を伸ばした先にあるものが一方は「繋がる、広がる」で、もう一方は「出会う」。
似たような歌詞で、手を伸ばすという同じ行為の先にあるものなので、「『SINGING, DREAMING, NOW!』の歌詞で繋がる、広がるもの」と「『Link to the FUTURE』の歌詞で出会うもの」も同じようなものを指しているのかな?と考えました。
『Link to the FUTURE』での「出会う」の対象は何か。これは文脈から考えて「(ミライへの)扉」が妥当じゃないでしょうか。ミライへの扉は絶対あるけど簡単には見つからない、でも手を伸ばしてみないことにはミライへの扉に出会うこともない、という話。
この「扉」という言葉は『SINGING, DREAMING, NOW!』にも登場しています。
自分だけじゃ 気づかない
いろんな扉への道があるってことを
教えてくれたね
『SINGING, DREAMING, NOW!』より
こちらも、扉自体は確かに存在していたのに、そこへの道を見つけるのは自分だけじゃできないくらいには難しかったという、上記の『Link to the FUTURE』の歌詞と似たようなことを言っています。そして、『SINGING, DREAMING, NOW!』では「扉」に加え「道」がセットで登場しています。
「扉」だけだと「繋がる、広がる」という言葉とは上手く繋がりませんが、「扉への道」とすると、「道が繋がる」も「道が広がる」も日本語として意味が通ります。
なので、上記の歌詞で繋がる、広がるものは「扉への道」だと解釈しました。
この2曲をまとめて一連の流れにするなら……。
自分の望む未来への扉が(存在はしているんだけど)見つからなくて、一見無理な願いに感じた。でも実際に手を伸ばしたからこそ、自分の前に道が広がって、その道は扉へと繋がっていた、みたいな感じでしょうか。(扉という言葉も割と概念的ですが、これを具体化するなら望みを叶えるための手段・契機とかでしょうか。)
余談ですが、ここに虹ヶ咲のとある楽曲の歌詞を加えると、扉に辿り着けさえすればその扉に入ること自体は簡単なことだと考えられますね。なぜなら、(見出し文に続く)。
ただ『SINGING, DREAMING, NOW!』ではその扉への道に、他者の存在があったからこそ気付けたと言っています。
一緒に居よう、って
他者の存在といえば、リレー企画用の記事ではOVAとその主題歌という観点から、応援してくれる誰かがいるから限界だって超えられるし夢に向かって頑張れるという話をしました。それに加えて、「では、仲間がいない人間は夢に向かって頑張ることはできないのか」という疑問提起もしました。
その疑問に対して、2本目の記事では『Just Believe!!!』の歌詞を通して虹ヶ咲的な観点で補完をしましたが、今回は『Link to the FUTURE』の歌詞を用いて補完をします。
ひとりきりじゃムリなことでもみんながいたら乗りこえてゆけるとわかった
なんだ…最高だ…!
ひとりでもがんばれる みんなとはさらにがんばれるね
じゃあやっぱり一緒がいいな
一緒にいたい
『Link to the FUTURE』より
この歌詞の裏を返せば、みんながいたら乗り越えられることでもひとりじゃ無理だし、ひとりで頑張れる量というのはみんなと頑張れる量の下位互換にすぎないという、割と「ひとり」に対して酷な意味にも取れる歌詞をしています。
なので、畑亜貴さん的な観点から考えても、先ほどの疑問については「はい」となるんじゃないかなと自分は思います。
でもそれに対する救済について、リレー企画用記事の方ではエンドロールの話も交えながら「虹ヶ咲という作品に出会えた時点で、あなたには虹ヶ咲という応援者がいるよ」という話、応援して応援される「あなたと虹ヶ咲の関係」の話もしました。
実は『Link to the FUTURE』の方でも同じようなニュアンスを感じられる歌詞というのがいくつか存在しています。
君の力 僕らの願い 重なりながらどうなっちゃうのかな
『Link to the FUTURE』より
これは、夢に向かって頑張る蓮ノ空メンバーに、「君」の応援の力が加わればきっと凄いことが起きる、という応援を受け取る曲としての歌詞。
ミライ いま笑顔でがんばってるみんなのミライは
ここから始まる 出会えてホントに嬉しい ありがとう!
『Link to the FUTURE』より
自分たちだけでなく、「君」も含めた「みんな」の頑張りを肯定しつつ、出会えたことへの感謝と喜びを歌った歌詞。この「出会えたことへの感謝と喜び」は『SINGING, DREAMING, NOW!』でも
熱く語りあえる君に会えてよかった
ホント嬉しいよ
『SINGING, DREAMING, NOW!』より
という歌詞で表現されています。
君の世界へ連れてって
そして次が個人的に重要というか、特に語りたかったポイント。
君の世界で 僕らの情熱 暴れまわったらどうなっちゃう?
わー!わー!!わー!!!
『Link to the FUTURE』より
ここ、個人的に凄い好きな歌詞なんですよね。『Link to the FUTURE』は劇中歌なので作中のみで完結する意味でも歌われているとは思いますが、今回はメタ的な視点での歌詞の受け取り方をします。
この歌詞は、蓮ノ空という作品は創作であり、日野下花帆たち蓮ノ空メンバーはあくまで架空の存在だけれど、彼女たちが夢に向かって頑張る物語は間違いなく現実に存在していて、現実世界の自分たちがその物語から彼女たちの情熱を受け取って自分の夢ややりたいことを頑張る力にできたら、言葉じゃ言い表せないくらい凄いことが起きるよね!という歌詞だと自分は考えています。
物語自体は架空であっても、そこから人が受けとった感情は間違いなく本物。これが個人的に凄く書きたかったテーマです。
つまり、物語と現実という2つの世界の間の壁(いわゆる第4の壁)を超えて蓮ノ空メンバーは自分たちを応援してくれているということです。
これはリレー用の記事の方でも語った、OVAのエンドロールで「虹ヶ咲メンバーがあなたの夢を応援してくれる」という話と同じになります。どちらのコンテンツも、あなたに夢を応援してもらう作品であり、あなたの夢を応援する作品であるのだと感じます。
蓮ノ空では「With×MEETS」や「Fes×LIVE」などの作中と現実間でやり取りをするコンテンツが多いだけに、このような感覚も強調されます。これは蓮ノ空の武器ですね。
では、虹ヶ咲における蓮ノ空のような武器とはなんなのか?
それが、お台場という聖地を通して描かれる、彼女たちが現実のお台場で暮らしているように感じられる工夫の数々だと思っています。
TVアニメにおける背景の再現度の高さ、にじよん2期のゲーマーズ回が放送された後の現実でのゲーマーズでのコミュニケーションノートの再現などですね。
特にアニメ内のお台場の風景の再現度の高さは『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会TVアニメオフィシャルBOOK』での河村監督のインタビューでもこだわりポイントとして語られています。(P93)
『SINGING, DREAMING, NOW!』の話に戻りますが、この曲が流れるOVAのエンディング映像では、お台場の風景に重なるようにめばちさんのイラストが描かれた写真がかざされ、まるで現実のお台場に虹ヶ咲メンバーが現れたような演出をした後で、エンドロール映像であなたの夢を応援する流れとなっています。
つまり、彼女たちはこの現実世界に現れた上で、その現実世界の「あなた」を応援していることになるわけです。
これがニジガク版「君の世界で僕らの情熱暴れ回る」なのではないかと思います。
エンディング映像とエンドロール映像、最初はそれぞれ別物として楽しんでいたのですが、こうして『Link to the FUTURE』の歌詞を通して考えることで、この2つの映像間に繋がりを見出し、エンディング映像→エンドロール映像という順番に対しても意味を感じられるようになりました。
Link!Like!
これまでの記事では、『SINGING, DREAMING, NOW!』という曲名の意味について考える過程の中で、「歌う」という行為の意味について考えてきました。
今回も『Link to the FUTURE』に登場する歌詞から「歌う」ことについて考え、それを『SINGING, DREAMING, NOW!』に当てはめたらどうなるのか?ということを試してみたいと思います。
最初に、1番サビに登場するこの歌詞。
希望の声は消えない ずっと僕らが歌うから
ずっとね 歌おう 歌おう ずっとだよ
『Link to the FUTURE』より
まずこの歌詞を言葉通りに受け取る場合、歌うから希望の声が消えないという因果関係から見て、「歌う」という行為には「希望を繋ぐ」という役割があると捉えることができます。
次に、蓮ノ空は「伝統」がキーワードになっている作品であることにも注目した上で同じ歌詞を見てみます。
蓮ノ空は物語内でもスクールアイドルクラブが芸楽部だった頃から受け継がれているものを大切にしていて、物語外でもこれまでのラブライブ!シリーズが紡いできたものをカバー曲などの形で今に繋いでいます。
個人的には、虹ヶ咲の方では長らくご無沙汰だった『NEO SKY, NEO MAP!』がスリーズブーケによってカバーされたことで、新しい形でこの曲に触れられたのは嬉しかったし、改めて良い曲だなって思える良い機会になりました。ストーリーを読んでいても、虹ヶ咲で描かれたテーマをしっかり引き継いでくれているんだなと感じることが多くて嬉しくなるのですが、その話は割愛で。
そういう特徴がある作品なだけに、自分は最初にこの歌詞を聴いた時、「希望の声」とはこれまでのスクールアイドルクラブやラブライブ!シリーズが積み上げてきたものであり、自分たちがそれを消えないように未来に繋げるよ、という意味の歌詞だと思っていました。
この場合、「歌う」という行為には「歴史を未来に繋ぐ」という意味が付随すると考えられます。
次に2番の歌詞、
君の声が聞きたい ずっと僕らと歌おう
ずっとね 歌おう 歌おう ずっとだよ
『Link to the FUTURE』より
これは2本目の記事で『New Year's March!』の歌詞なども引用して語った、夢や立場が異なるもの同士でも一緒になって歌を歌うことができるという話に通じるものがあると思います。
歌を通して、君も私たちに参加して!と言っているような歌詞ですね。これが「歌う」という行為が持つ「人と人を繋げる」という意味についての話です。
といった感じで3パターン程語りましたが、これらを『SINGING, DREAMING, NOW!』に当てはめるなら、一例として以下のようになります。
①希望を繋ぐ
リレー用の記事でもOVAの話の終盤であえて「希望」という言葉を出したように、『SINGING, DREAMING, NOW!』は夢を諦めかけた人にも「君ならできるさ」と声をかけて希望を与える曲なので、希望を繋ぐことを意味する「歌う(SINGING)」が曲名に入るのではないか?
②歴史を未来に繋ぐ
リレー用の記事でも締めの方で書いたように、『SINGING, DREAMING, NOW!』が流れるOVAは映画に続くことが既に前提となった作品なので、TVアニメという歴史を映画という未来に繋ぐという意味で、歴史を未来に繋ぐことを意味する「歌う(SINGING)」が主題歌の曲名にも含まれるのではないか?
③人と人を繋ぐ
2本目の記事でも語ったように、目指す夢もそれぞれの想いも異なる人たちが一緒にいられて夢を応援しあえるような、同好会という場所や、虹ヶ咲という作品と視聴者の関係性などについて歌った曲なので、人と人を繋げることを意味する「歌う(SINGING)」が曲名に入るのではないか?
……といったところでしょうか。まぁこのあたりは色々な可能性があるかと思います。
努力・未来・イマ
車に轢かれるんだか『未来ハーモニー with YOU』が流れるんだかよくわからない見出しですがそれはさておき、ここまでは2曲の似ている点をもとに考えてきましたが、最後は似ているようで対照的な点をもとに考えてみます。
リレー用の記事では、『SINGING, DREAMING, NOW!』という曲名の「NOW」という部分の持つ意味について考えましたが、同じ畑亜貴さん作詞であり、「NOW」とは逆に「FUTURE」という言葉が最後にくるこの曲と比較することでその考えを補強してみたいと思います。
そもそも『SINGING, DREAMING, NOW!』にある歌詞が全部今の話しかしていなかったら話は早いんですよね。ただ、この曲の中でも未来についての話はしています。
まっすぐ駆け抜けたら
限界なんて いつのまにか超えちゃうよ
(中略)
夢は遠いようで いつか掴める
『SINGING, DREAMING, NOW!』より
限界を超えるのも夢を掴むのも、今ではなくこれからの未来での出来事なので、この曲の中でも未来の話はしているのです。
一方『Link to the FUTURE』でも、「今を頑張っている」ことを歌った歌詞があり、こちらも未来だけの話ではなく今の話もしています。
そもそも未来というのは今の延長線上にあるものですから、この2つを切り離すことはできないんですよね。
今を頑張らなければ望む未来には辿り着けないし、望む未来がなければ今を頑張る理由もなくなってしまうし、どちらの曲でも今の話と未来の話の両方が出てくるのは当然なのかもしれません。
じゃあこの2曲の間の違いは何かと言うと、感覚的な話にはなってしまうかもしれませんが「どちらにより強く焦点を当てているか」です。
『Link to the FUTURE』では、「大ハッピーエンドを叶える」とか「未来をもっと面白くする」という、未来で起きる「結果」を強く意識しているような歌詞が多いです。
すごいよミライ 予想以上だよ
叶えるさ 大ハッピーエンド
(中略)
もっとミライ おもしろくなれ
いつだってさ 大どんでん返し
『Link to the FUTURE』より
一方『SINGING, DREAMING, NOW!』では、確かに未来の話もしていますが、それはそれとして今を駆け抜けることに夢中になっているようなニュアンスの歌詞になっています。
リレー用の記事でも話しましたが、「いつのまにか」という言葉が使われているということは、その結果を強く意識しているわけではなく、あくまで副産物的なものにすぎないということです。未来での結果よりも、今という「過程」を大切にしているような歌詞に感じています。
もちろん、過程を蔑ろにして結果だけ求めるとかそういうキングクリムゾン的思考は問題としても、ちゃんとした過程を経て結果に辿り着こうとしてるのであれば、過程と結果に優劣ってないと思うんですよ。ただ場合によってどちらを重視するかは変わってくるってだけで。
例えるなら旅行に行く時、目的地に着いてから遊ぶのも、目的地に着くまでの移動時間も楽しいけど、移動時間中ってその時間そのものを楽しむこともあれば、目的地に着いてからのことを想像してワクワクすることもあるよね、みたいな感じでしょうか。
いつかの未来で夢を叶えるためにも、今を全力で駆け抜けよう!というのが『SINGING, DREAMING, NOW!』、今を頑張った結果として、未来で夢が叶うことを信じよう!というのが『Link to the FUTURE』なんじゃないかなと思います。
畑亜貴さん繋がりということで上手いこと言ってやった感を出すなら、
『SINGING, DREAMING, NOW!』→トキメキを胸に今を走る者たちの曲
『Link to the FUTURE』→夢は叶うと未来を信じる者たちの曲
といったところでしょうか。
だから『SINGING, DREAMING, NOW!』には「NOW」という言葉が入り、現在進行形の曲名なんじゃないかなと考えました。
届け私の歌
というわけで、蓮ノ空の『Link to the FUTURE』という曲の話をまじえながら、『SINGING, DREAMING, NOW!』についてまた違った視点で語ってきました。
自分は同じ作者の別作品同士に対して、同じ作者ゆえに似ているような点を探してみたり、Aの作品ではこういう作者の思想が描かれているから、それをBの作品に持ち込むとこういう解釈ができるんじゃないか、みたいな話が好きなんですよね。なので、だいぶ自由な感じになってしまいましたが、これも私のトキメキということで書ききらせていただきました。
2本目の記事が「作詞者は違っても同じ虹ヶ咲という作品の曲であれば、そこから共通で見出せるものはあるよね」というのを主張するのが目的だったのに対して、3本目の記事は逆に「違う作品であっても作詞者が同じであれば、そこから共通で見出せるものはあるよね」ということを主張するのが目的になります。
もちろん虹と蓮くらいしかちゃんと追ってない自分なんてまだ全然畑亜貴さんの作詞というものを理解していないので、今回の記事に対して他の作品の曲の話を持ち込んで『SINGING, DREAMING, NOW!』について語ってくださる方がいれば、この曲に対する解釈を深めたいと思っている自分としては大歓迎です。(序盤の「扉」のくだりは、『ユメノトビラ』の話とかも入れるとさらに別の解釈ができると思ってます)
そして、『SINGING, DREAMING, NOW!』について長々と語ってきたのもこの3つ目の記事でついに終わりです。ここまで全て読んでくださった方がいれば本当にありがとうございました。
リレー企画用の記事単体の主な目的が、OVAと6thライブの話を重点的にすることにより映画の公開前のタイミングで改めて映画に関する発表があった日の気持ちを振り返ってもらうことで、2本目と3本目の記事の目的は上述した通りですが、ブログ3部作としての目的もありました。(ブログ3部作ってなんだよ)
3つの記事のタイトルを見てくださった方は既にお気付きかもしれませんが、全てのタイトルは「君」に対して「歌おう」と呼びかけている歌詞の引用となります。
そして、リレー企画用の記事も含めて全ての記事で多かれ少なかれ「作品が現実世界の君に何かを語りかける話」と「歌うという行為の意味についての話」は入れてきました。
ここまで色々書いてきたように、「歌う」という言葉は様々な解釈ができます。歌う行為はどんな付加価値を持つのか、という話はもちろん、そもそも歌うとは辞書的な意味ではなくてこういうことの比喩なんじゃないか、とかも含めて。その上で、作品から「一緒に歌おう」と誘われたあなたは、「歌う」という言葉にどんな意味を見出した上でその誘いに応えるのか。
「SINGING」という言葉を冠した曲について語ってきたこれらの記事が少しでもそれを考えるキッカケになれば、欲を言えば参考になれば、嬉しく思います。
いずれ観る三作目の映画
上の話の延長として、蓮ノ空という別作品の話を用いた記事だからこそ語れることをもうひとつ。
今ラブライブ!シリーズには今回触れた虹ヶ咲と蓮ノ空を含め、本当に色々な作品がありますよね。ひとりで全部追うのは難しいくらい供給が多くて、時には作品の多さゆえ目移りすることも。
というより、もはやラブライブ!に限らず今の世の中には激おもろコンテンツ(ゴミ語彙力)が溢れかえっています。数多のコンテンツがあなたのお金を、時間を、情熱を、奪い合っている世の中です。なんなら睡眠時間すらも娯楽に変えようとするカビゴンとかいうやつもいる。
右を見ても左を見てもあらゆる娯楽が満ち溢れ、物語は次から次へと消費される今の時代、一生心に残る感動なんてむしろ珍しいくらいです。
そういう自分も、一生虹ヶ咲を好きでいられるという保証はなくて、明日には虹ヶ咲のオタクやめて蓮ノ空のこと好き好きクラブになっているかもしれない。(映画公開前日に?)
それでも、少なくとも今現在の自分は虹ヶ咲をずっと好きでいたいと思っています。
物語をただ消費するだけじゃなくて、その物語から自分が受け取ったものを意識すること。自分も何かしらの形でその物語に参加していくこと。
そうすることで、いつか虹ヶ咲の映画完結編第3章を見届けた後も、例えるなら卒業してからも連絡を取り合う学生時代の友人のように、「虹ヶ咲」と(自分を含めた)「あなた」の世界の壁を超えた関係が続いていけば何よりです。
またやりたいです、おしまい
それでは最後に、そんな世界の壁を超えた関係を象徴するものとして引用した、『Link to the FUTURE』の歌詞を再度紹介します。
君の世界で 僕らの情熱 暴れまわったらどうなっちゃう?
わー!わー!!わー!!!
『Link to the FUTURE』より
この「わー!わー!!わー!!!」ってのも良いですよね。言語化できないくらいカオスでわちゃわちゃした感じが伝わってきますし、プロの作詞家ではなくあくまで高校生が書いた歌詞だからこその表現だなって感じられて、凄くスクールアイドルらしいなと思います。(もちろん現実で作詞した畑亜貴さんはプロの作詞家なので、スクールアイドルらしい歌詞を書くのが上手すぎるよねって話)
そういえば虹ヶ咲にも、畑亜貴さん作詞ではないものの、
・カオスでわちゃわちゃした歌詞
・「わー!わー!!わー!!!」みたいな感じの曲名
という特徴を持つ曲があったような……?
というわけで、リレー企画用の記事ではないと言いつつ、本当の本当に自分のターンは終わりということで改めて。
完結編第1章公開まであと2日!明日はわらみんさん(@WaraminLiver123)より、『Wawawa☆What's up!』について語っていただきます!
カウントダウン企画のグランドフィナーレを!伝説の始まりを!!その目に刻みなさい!!!