かすログ

ゆうぽむなんだね

侑と歩夢と観覧車

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 お台場の観覧車も8月末で閉業……というわけで、その前に改めてあの観覧車が登場した2期5話のシーンについて語っていきたいと思います。

 

 2期5話を見た当初の感想としては

・東京ドームシティの観覧車が休業で落ち込む歩夢を見てお台場の観覧車に誘う侑の、歩夢のことを大切に思っていることが感じられる気遣いが好き。

・少し躊躇ってから侑の手を握る歩夢のかわいさや、侑の力になろうとしている様子からも侑に対する歩夢の想いの強さが感じられて好き。

・この時流れている劇伴がとても綺麗。

ということを感じていました。

アニメ虹ヶ咲2期5話ゆうぽむ感想 - かすログ

 

 ただ最近は「最終話まで見たからこそ5話に対して新しく感じること」も出てきました。

2期5話と最終話

 観覧車のシーンの最後に侑が口にした

「次はきっと、私の番なんだ」

というセリフ。これは最終話の

「次は、あなたの番!」

というセリフと対応しているように見えませんか?

 このシーンは今思えば最終話の布石だったのではないかと思います。

 

 最終話との繋がりということでもうひとつ。

 このシーンの劇伴は「くじけそうな時は」という曲名なのですが、これについて考えてみます。

 くじけそうな時は、という言葉はシーンから察するに音楽科で苦戦中の侑に対して、侑がくじけそうな時は自分が力になりたいという歩夢の気持ちを表していると考えられます。

 さて、この「くじけそうな時は」というフレーズで連想されるもの。それは最終話でステージに立った侑が客席、そしておそらくは画面の向こうの視聴者に向けても言ったであろう

「元気が欲しい時は会いに来て!」

というセリフです。くじけそうな時というのが、そのまま元気が欲しい時と同じニュアンスだと思います。

 最初は歩夢から元気を貰う側の立場だった侑が、最終話では彼女も誰かに元気を与える側の立場になっている、という侑の成長が見える対比が面白いですね。

 5話時点の侑はまだ音楽科として走り始めたばかりで、ランジュの言葉を借りるなら「何も生み出していない」状態でした。

 そこから歩夢にエールを貰い、それからはトキランの完成や12曲の作曲などを成し遂げ音楽科の道で開花し、また侑にもファンからのメッセージが来るなど、しずくの言葉を借りるなら「たくさんの人にトキメキを与えられる存在」になりました。

 そして視聴者に対して、今度は視聴者たちが侑のように何かに向かって走り出せるように「次はあなたの番」というエールを送ります。

 侑が歩夢からバトンを受け取り、2期13話まで走り抜け、今度は視聴者にそのバトンを託す……というのが2期の物語だったのだと。

 

 ここで再び劇伴の話になりますが、「くじけそうな時は」には「虹の架け橋」という曲のメロディが入っています。

 先程書いたように、このシーンが歩夢→侑へとバトンを渡す場面であり、最終話に侑→視聴者へとバトンを渡す流れに繋がる場面であるとすると、歩夢→侑→視聴者という間の繋がりを「架け橋」と表現するなら、このシーンの劇伴に「虹の架け橋」の要素が含まれているのも納得できるように思えます。

観覧車の持つ象徴的な意味

 次に、観覧車という舞台について話します。

 ここまでで2期5話は2期最終話にも繋がるシーンであるという話をしてきましたが、これを踏まえると少しこじつけ感もありますが観覧車の持つ意味について考えられます。

 観覧車といえば、同じ場所を一周するだけであり移動手段としての意味は無い乗りものですが、その過程で高い所に上ることにより遠くの景色まで見渡すことができるものです。

 この「遠く」という言葉を距離的な意味ではなく時間的な意味と解釈するなら、「先のことも見通す」と言い換えられます。

 つまりこのシーンは、2期5話の時間軸からは移動することなく少し先の時間軸の最終話を見越したような会話をしている……ということを観覧車が表現しているのかもしれません。

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 「次はきっと私の番なんだ」と呟く侑のシーンも、窓に映った自分を見ている=自分に対して言い聞かせてるように見えますが、先程の解釈を踏まえると、窓の外の遠くの景色を見ている=少し先の最終話に繋がる言葉を発している、とも見れるのではないでしょうか?

 

 続いて、このシーンというよりは、侑と歩夢の2人にとってこの観覧車が大事な思い出の場所になったということの意味についてです。

 侑と歩夢の関係におけるテーマとして、「変わることへの恐怖」「それに対する克服」であると考えています。

 例えば1期12話では、周りの状況が変わる中で侑との距離も離れてしまうことを怖がっていた歩夢が、せつ菜の言葉やファンからの愛、侑からの変わらぬ想いを受け取ることで前に進む様子が描かれました。

 今回この記事を書くことにした理由でもあるように、このお台場の観覧車は閉業になります。

 前からあった観覧車が無くなること、昔からのお台場の景色が変わっていくこと、それが侑と歩夢の幼馴染としてずっと一緒だった関係も変わっていくことを象徴しているように思っています。

 そして、変わっていくものの中にも変わらないものがあるように、観覧車が無くなってもこの観覧車で侑と歩夢が大切な時間を過ごしたことは変わらない……ということを意味しているのかもしれません。

(観覧車の閉業は現実世界の話であり作中での扱いは不明ですが、象徴としての解釈をする分にはこういうメタ視点もありかなと思ってます)

 

 というわけで、侑と歩夢の観覧車シーンについて語ってみました。要するに、ゆうぽむはかわいいということでした。